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2014年12月

女川(おながわ)で考えた

◆色づき始めた欅の木洩れ日に包まれて、仙台は思いのほか暖かい。東日本大震災から三年半余りが経過した。旅行者は容易に気づかないが青葉城址公園、・瑞宝殿周辺の崩落跡など観光地の此処彼処にも爪痕は残されているという。タクシーの運転手さんに「是非」と勧められて石巻・女川を訪ねることにした。

◆点在する仮設住宅を眺めながら石巻を走る。旧北上川沿い海に近づくにつれ、新築が目立つ住宅地に基礎だけを残した空き地が増える。新築の経済的負担もあろうが、「この場所に再び住む」ことの決断は容易ではないのだろう。墓地には黒光りした新しい墓石が多い、自身の生活も儘ならないだろうに、墓の再建を優先した人々。

◆石巻線沿いに女川へ。テレビで幾度か見た景色だが、荒涼とした現実を前に胸が痛む。造成中の市街地跡に横倒しになったビルがそのままにある。両袖の山は宅地開拓が進んでいる。車窓から見える人達、殆どが家族や知人を失った人達だ。

◆津波の被害を免れた住宅街に保育園がある。日当たりのよい園舎から子供たちの元気な声が溢れている。子供たちのエネルギーはこの地域の人たちを元気づけ復興に役立っている筈だ。子供は宝、希望なんだ。

◆今、全国のあちこちで保育園が迷惑施設のように言われている。安閑とした生活が続くと大切なものを見失ってしまうのだろうか。女川でそんなことを考えた。